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藏重の目利き 04

藏重商店の目利き登場シリーズ、4回目はフルーツに加えて当社のもう一つのメインの取扱品目、トマト担当の登場です。

トマト 木村勝好

本当にいいものは、売り方もこだわる。
農家もお客様も、大切にしなくちゃ。
トマトの箱と木村

 倶知安町から二十歳で札幌に出てきて以来、ずっと市場界隈で働いています。玉ねぎ問屋さんで2年半くらい住み込みをして、藏重商店に入ったのが23歳の時で、以来ずっとトマト一筋。飽きないのかって?他の果菜類(果実を食べる野菜)、例えばキュウリもやってみたかったけど、先代には「やってもいいがトマトをおろそかにするなよ」と言われて専念したんです。トマトには端境期がないからね。

 藏重商店がトマトを扱い出したのは50年くらい前、先代の奥さんの静江さんが始めたそうです。自分が入社した頃のトマトは露地栽培が主流で、味も今とは違うし、朝もいだらその日にダメになるくらい柔らかかったから、扱いも大変。今日あったのに明日はないという調子で、相場の上下も激しかった。

 産地は三笠、洞爺、夕張。当時は今思えば質より量に応えなきゃという時代でした。小売業ではスーパーマーケットがどんどん伸びていた時代で、その波に乗るために流通業も量を揃えようと競っていました。うちも売上をもっともっと上げるタイミングだったけれど、その中でもやっぱりうちらしく高品質にこだわって行こうなんて、社員同士で熱くなって話し合っていました。

並んだトマト

農家の熱い思いを背負う、厳しさと喜び

 仕入れで足を運ぶ仕事の中で、ある時から仁木町の戸嶋農園さんに気に入ってもらって、戸嶋さんのトマトをほぼ全量扱うようになりました。その戸嶋さんが、当時最先端の、水を極端に減らして作物の能力を引き出す技術を取り入れることになりました。

 「量より質のトマトをつくりたい」という話を聞いて「わかりました」と言ったはいいけど、戸嶋さん、露地のトマト畑を一度に全部ハウス栽培に変えちゃった。両親も子どももいる農家さんだし、うちがそれを全量扱うわけで、おっかなかった。それを、ちゃんとした値段で仕入れていました。だって農家さんが安心して頑張れないとダメだから。「フルーツトマト」(※1)という呼び名が確立する少し前の話です。

 戸嶋さんのトマトは、有機肥料を入れて土づくりをして、とても手がかかります。農家の人、農業に進出する企業の人、時にはうちのお客さんも、色々な人が戸嶋さんのトマトを見学に行ったけれど、ただ理屈が分かっただけであのトマトは真似できない。だから、全部教えても大丈夫、戸嶋さんと同じことはできないからって言ったことがあります。

 初めの頃は、毎年6月14日に始まる札幌まつりの頃から9月10日頃まで作っていたけれど、段々お客さんの注文が秋も続くようになり、相談しながら段々長く作ってもらうようになって、今は大体、10月3日頃まであります。10月は本州のおいしいトマトが途切れる時期だから、余計に欲しがられる。その時期の戸嶋さんのトマトは特に味が良くなるから、規格外品でいい、終わり頃のが欲しいと言うお客さん(小売の青果店の方)もいます。昔っからのお客さんは知っているんですよね。

(※1 フルーツトマトは品種でなく、水分をコントロールする栽培技術により糖度を高めたトマトの呼び名)

戸嶋さんのフルーツトマトと担当者・木村

仁木町の戸嶋さんの「こだわりトマト」は思い出深い商品だ。

 戸嶋さんのトマトは、個人のお客さんにも結構知られています。毎年、スーパーの売場に並んだ頃に戸嶋さん宛に「今年もお元気でトマトを作っておられますね」と手紙をくれる方がいるんです。トマトの箱に戸嶋さんの名前が入っているから、それをスーパーで見ているんでしょうね。そりゃあ、戸嶋さんもやりがいが湧きますよね。

 静岡県のお客様からも毎年注文が入っていました。有名な福祉関係の方で、ねむの木学園の宮城まり子さん(※2)。うちから毎週のように送っていました。新規の問い合わせは、今でも多いです。でも、こういうこだわり品は、販路を広げちゃいけない。戸嶋さんが他の引き合いにそうそう応じないのも同じで、今までのお客様をないがしろにできないからなんです。

(※2 女優でねむの木学園創設者の宮城まり子さん。札幌で知人が差し入れた戸嶋さんのトマトを気に入って、晩年まで取り寄せていたそうです。)

戸嶋さんのフルーツトマトを見る担当者・木村
トマトなら藏重」と気負って頑張った時代

 仕事の面白み?そうだね、その時代や自分の年代によって仕事に取り組む気持ちが違うんじゃないかな。30歳くらいの時、映画館が500円くらいの頃だったんだけど、トマトの仕事で500万円の赤字を出しました。ゴールデンウイークのチラシを入れる約束をした後、予想外に品薄になって、売値より高く買うことになってしまった。

 先代(当時の社長)に「ちょっとやられました…」と打ち明けたら、「ちょっとどころじゃない!」ってガッチリ絞られましたね。ひと月分の全社員の給料が吹っ飛ぶくらいの損なんだもの。翌朝出社して黙って働いていたら、あまりの事に誰にも叱られず、「普通なら仕事休むところだよ」って逆に励まされました(笑)。

 一度約束したら絶対に納品するのがこの仕事。だから、辛い時もありますよ。その時の台帳は今でも事務机の引き出しに入れてあります。苦しい時に見て、当時を思い出して、大丈夫だ!って思ってね(笑)。

 若い時は、敵なしという気概で、色々なお客様とおつきあいしました。「藏重が一番!」って、看板背負ってましたねぇ(笑)。一時はうちのトマトの扱い額のほうが、荷受け(卸売会社)のトマトの扱い額より多い事もありました。生産者さんが藏重と付き合えば売り上げが立つと思って品物を出してくれる、その積み重ねだったと思います。昔は札幌周辺にもダイマル、ホシ、イズミ、いろんなローカルスーパーがあったし、小売の青果店も多かった。そのお客様のために品物を揃える意地みたいな部分は、静江さんの背中を見て覚えたのかもしれません。なければ産地までトラックで探しに行き、産地から買い付け特殊な市場にも買いに行ったりと工夫して、今日は藏重にだけトマトがあった、藏重にないなら仕方ない、と言われるようにしたのは、静江さんだったから。

平取のトマト「ニシパの恋人」の箱
時代で変わる、トマトの仕事あれこれ

 トマトの種類は、最初は大玉しかなくて、ミニトマトは後から出てきたものです。売る側から見ても、ミニトマトが大玉トマトの市場を奪うだろうという予想だったけれど、ミニは物珍しさもあって高くても売れるようになり、結果的にミニトマト独自の需要が生まれました。うちで扱う額でいうと、大玉4、ミニトマト5、フルーツトマト1くらいの割合で、ミニトマトが多くなりました。

 今のトマト栽培はハウスが主流で、北海道産の季節も昔より長く、平取(びらとり)産は5月から10月まで続きます。他にも6月は余市、7月は旭川のトマトがおいしい。10月からは熊本、愛知、長崎と産地をリレーして、1月下旬からは本州産のフルーツトマトが本格的においしくなります。トマトは一年中店に並んでいるけれど、一本の苗木から収穫するのはおよそ90日。ひとつの産地がいい品物をくれるのは2ヶ月半くらいで、その短いピークを探し求めていく。その中でやっぱり、平取は頼りになる産地です。6ヶ月近く一定量を出荷できるように、植え付け時期をずらしている。農協規模でここまでやる産地は、東京以北では類がないと思います。

 最後に、トマトの豆知識でも話しましょうか。実は、お店に並んでいる青さの残るトマトと真っ赤なトマトは、糖度は変わりません。青いトマトを追熟させれば色は赤くなりますが、甘くなるわけではないんですよ。ただ、トマトのおいしさは糖度だけじゃないからね。あと、ミニトマトの味は、作り手の技術もあるだろうけど、大玉に比べて、品種の持ち味の要素が大きいです。6~10月一杯のキャロルセブンは味がいい。でも収量が少なくて割高になるから、今は収量の多いアイコが主流です。とはいえ、同じアイコでも色々な農家さんが作って、色々な味になる。やはり時期ごとに自分の好みを見つけるというのが一番です。

(聞き手、まとめ:フードライター・深江園子)

並んだミニトマト
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