藏重商店の歴史
創業間もない北一藏重商店。創業者、藏重勤と妻の静江。抱かれているのは現社長の藏重満。
<創業から現在まで>
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1953年 昭和28 創業者 藏重勤・静江結婚と「北一藏重商店」創業。※創業の地は現在の時計台の裏
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1959年 昭和34 札幌市中央卸売市場に入場。仲買23番として市場内の販売をスタート
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1997年 平成9 株式会社北一藏重商店 となる
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1999年 平成11年 代表取締役に藏重満就任。藏重勤は会長へ。
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2002年 平成13 会長藏重勤 逝去
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2003年 平成15 創業50周年記念式典開催
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2006年 平成18 札幌市中央卸売市場、新青果棟が完成
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2007年 平成19 新「札幌市中央卸売市場」完成記念式典
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2010年 平成22 開設50周年を記念して「札幌市場祭」
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2018年 平成30 北一藏重商店 創業65周年
戦後、創業者の出会いと創業に至るまで
創業は1953(昭和28)年、創業者である藏重勤とその妻、静江の結婚した歳がその年にあたります。その1年後の昭和29年、現社長、藏重満が生まれます。
藏重勤はアメリカのアイダホで生まれ、その後両親に連れられ故郷である山口県岩国へ戻ったのち、新天地を求めて北海道へ家族で移り住むことになります。
一方、妻の静江は現在はロシアの樺太(サハリン)珍内町で生まれ、敗戦後、引き揚げ者として札幌に家族で移り住むこととなりました。その当初は生活も苦しく、父の手伝いで現在の岩見沢まで闇米を仕入れに行きそれを背負って家族の生活を助けたと言います。
そんな戦後の激動の時代をそれぞれ苦しく生き抜きながら二人は出会い、結婚。「北一藏重商店」が誕生します。「北一」の屋号には、北海道で一番になるという創業者藏重勤の思いが込められているそうです。
創業当初、藏重勤は、平岸に広がっていたりんご農園にトラックを走らせて仕入れをし、現在の時計台の裏(北1条西2丁目)で卸売業を始めました。当初はりんごのみを扱っていたことから、弊社のはじまりは「りんご」専門卸売と言えます。
札幌市中央卸売市場に入場、仲買、23番へ
その後、1959(昭和34)年に「札幌市中央卸売市場」が開設。その際に仲買の第1次募集に応募し現在の「23」番の仲買番号を取得し、市場内での販売をスタートさせることとなります。
入場後は、果物専門卸として、りんご以外の国産・輸入果物も積極的に扱い商売を広げていきます。入場当初、社員は5〜6人ほどだったと言います。
藏重勤は軍隊上がりで仕事に関しては相当に厳しい人であったとこから、少ない社員のうち、3名の社員が一度に辞めてしまったことがありました。その時に妻である静江が金庫番として呼ばれたことがきっかけとなり市場で働くようになり、その後数十年間、市場内の23番の名物「おかあちゃん」となるのです。
女性の社会進出が当時少なかった中で、市場は、昔も女の人が活躍する場所であったことを考えると当時の一般的な職場と比べると特殊であったと言えるのかもしれません。
入場後、経営が軌道にのり数年度、市場近くに家を建てて家族4人で引っ越し、住み込み従業員とともに朝早くから夜遅くまで働き続けたと言います。「働けば働くほどもうかる時代であったから仕事が面白くてしょうがなかった」と先代の藏重勤、静江は当時を振り返って言います。
その後1997年(平成9年)に有限会社から株式会社へ変更登録し、現在のような会社組織に至ります。
世代交代
1999(平成11)年、現在の社長、藏重満へと世代交代します。創業当時と比べるとライフスタイルや流通の仕組みなど、市場を取り巻く環境は大きく変わりましたが、当時住込みで働いていた社員で未だに現役で働いているものもいます。今、ベテランと若手社員とが共に切磋琢磨し合いながら働ける環境は後から振り返れば貴重な時代と言えるのかもしれません。
創業から65年、なんとかその時々の時代をくぐりぬけながら現在まで会社が存続できたのも、厳しい環境の中で日々力を振り絞って働いた社員がいたからこそです。創業から今まで数多くのお客様、社員、関係者の方々に支えられ続けた65年間。その感謝を胸にここからまた新たなるスタートを切ります。
2019年吉日